leoundmax’s diary

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出羽守 久しぶりにもの申す

自分のブログ、ほったらかしていたことに気がつく。

いろんなことがあった2020年ではあるが。

SNSとかツイートとかたくさん書いた気がするのだけど、なぜか自分のブログはお留守だった。責任持って何か書くには、資料とか裏取りとかできなくてね。

 

で、結局は、署名原稿(依頼)のみで時間切れだったような気がする。

全ての活動が制限されて、オンラインがやたら増えた分、ゆったり自分のために何かを書くという時間が案外少なかった。のね。

 

で、今年ももうすぐ終わりというところで「一言」

テレビとかのコメントで多いけど、大して「出羽守」でもない人が何気に、ある外国のことを引き合いに出す例。特に昨今のCovid 19関連では頻繁に、中国、韓国、台湾、東南アジア、欧州、イギリス、アメリカが引き合いに出されていたと思う。そのたびに思うのが、数値的にデータ的に優等生の国の例を挙げるのは、話としてはいいけれど、「それが、何?」という気持ちになる。全てのカテゴリー、全種目で100点満点とか、金メダルの人ってほぼいないじゃないですか?せいぜい学校のクラスぐらいならオール5の人いたけど、それが東京都全部で全部の科目を最高得点の子とかまずいないと思う。

 

何かの科目では、誰かが一位なのは当たり前で、その一位の人と自分を比べることにどれだけ意味があるのか。その科目(専門、その道)に進む人が自分の前を行く人をお手本にするとか、その人のやり方に賛同するってのはわかる。でも、全科目、全分野で一位の人みて「羨ましい」とかいう必要全然なくて。

 

それより問題なのは、自分が平均点よりかなり下にいるとか、最下位ってことで、劣等感持つんじゃなくて、「危機感をもつ」必要はあると思う。だから、コロナ対策や危機管理の仕方など、行政や社会の仕組みとかで、もし、日本のやりかたが非常にまずいとか、例外的な処置をしてそれで悪い数字が出ているとかいうのなら、かなり気をつけて分析して善処する方向に努力する意味があるだろう。また、その際に上位の人たちのやり方をある程度お手本にするとか、条件が違う分を考えるとか。

 

でも、ちょっと何か日本のやり方に不満があったりした時に、すぐ「一等の人」を持ち出して、 x x出羽!ってやめてほしね。

ほんまもんの出羽守は もの申しますぞ。

 

出羽守がモノ申す(5)主治医、弁護士、税理士 その2

お久しぶりです。

 

久しぶりに「モノ」もうしたくなって古いブロクを更新する出羽守でありますが。

一気に書かないといけなかったのに、3年も中断してしまったので、その2とか言ってその1とはかみ合わない点もあるかもしれませんが、そのあたりはご容赦を。

 

今回の出羽守は、「ドイツでわ」かどうか自分でも不確かな人伝の話ですが。

時代は90年代、場所はミュンヘン、(当時は在住日本人が2000人)そんな割と狭い中で、同世代の日本人とのおつきあいで知ったことですが。

 

日本では、「ピル」(経口避妊薬)が簡単には手に入らない時代で。(今のこと知ってる方教えてください)日本では避妊というと、「XX外射精」というたんに「イメージ避妊」でしかないと言われる最も危険な方法、あるいは、「コンドーム」によるものが主流。ピルは公認されてないので、入手が困難な上、既婚者、出産経験のある人向けに作られたものが多いので、その後の出産を望まないことが前提の非常に強いものが主流であるとのこと。

 

ドイツ出羽。少なくとも私の周りでは、女の子のお母さんは、初潮が始まったらすぐに子供を婦人科に連れて行くのが当たり前、と聞いておりました。当時自分は独身で娘がいるわけでないし、自分自身はとうに初潮の時代を通り越していましたが、それでも主治医とは別に婦人科には通っていました。これは非常に大事なこと。要するに女性にとってとても大事な体の変化、「初潮」「出産」「閉経」という人生の3大イベントを上手に過ごすか、下手に過ごすかで一生の体を左右するという(私が関わったガン予防専門家の話)教えから言っても、とにかく、自分の(あるいは娘の)体について、まず基本的なチェックをしてもらうという意味でも、婦人科の診察はとても有効。

 

病気になって初めて医者に行くよりは、普段から医者にメンテナンスをしてもらった方が緊急時の対処が違うという意味でも。

 

そして、初潮がきたらまず主治医的な婦人科の医者を見つけて(大抵は母親のかかりつけでしょうが)定期的に検診をしてもらい、やがて「お年頃」になればピルを処方してもらう。それは、もちろんその後の出産も前提としているし、体が若いときにでるホルモンのバランスなども考慮されている「一人一人」のコンディションに合わせた処方であり。そのためにも半年に一度の診察が義務付けられており、それは女性にとっては非常に必要なこと。

 

あるマタニティー雑誌(日本の)で読んだ記事。妊娠したかな?というときに産婦人科で診察を受けたらどうも子宮か何かにそもそもの異常があった。しかし、妊娠しているので、レントゲンなどが使えない。出産まで本当に生きた心地がしなかった。というような話で。ドイツの場合は、「妊娠したかも」で初めて婦人科に行くケースは少なく(少なくとも私が知人たちから聞いた話では)そもそも初潮があり、性体験があるなしに関わらず、自分の体のメンテナンスとして婦人科に定期的に診察を受けていれば、その時点で子宮などの異常は発見されるわけで。

 

確かに婦人科の検診というのは、「愉快なものじゃない」のではありますが。そこは自分の体のことを知るためにもやはり必要なことではないかと。

 

ピルにもソフトなものハードなもの、生理不順を緩和させるためのものなど、いろいろあるそうです。その人の体に合わせて、あるいは、その時々の副作用の様子などを観察して、医者は半年ごとに処方を出し、薬局で入手する(医薬分業ですから)。時々、外国人の女の子でどうしてもピルが欲しいと言って、他人の処方を使って買うとか、他人のピルをもらうとかする子がいるようですが、それは本当に危険。市販の風邪薬やビタミン剤とはワケが違うのです。

 

出産後も、最初の生理が来る前に飲むピルとか、そのあとのピルとか、本当に体の状態に合わせていろいろあるのです。そして、最終的に家族計画として子供を望まない場合は、別の避妊方法もあり、それらは家族で話す(夫・パートナー)ことが前提であっても最終的には、医者に相談して一番良い方法をとる。

 

全ての「避妊」はパートナーの合意の上であっても、最終的には、女性と医療のガッチリとしたガードによる。そのことには男性も理解を示すべきで。結婚していないとか、一回きりだとか、関係なく、性関係を結ぶからには、両者が「生まれてくるであろう生命」に対して真摯に向き合い、対処をするべきであり。

 

これらのこと考えていると、もちろん若気の至りとか、ピルの飲み忘れとかいろいろあるものの、基本的に「若い男女がセックスするのは当たり前でしょう」という前提が最初からあるドイツと(男の子が家に女の子を連れてきたら親は遠慮して部屋の前をウロウロしないとか)いい年頃でも未婚の男女はこそこそとセックスするとか、ラブホを使わないといけないという事情が(多分)ある日本とはだいぶ違うワケです。

 

高校生がブログでピルのことを書くと同世代の中高生から熱いエールや感謝の言葉が寄せられる反面、「高校生のくせにピルなんか買って」いう批判的なコメントが来るという。

 

私に言わせたら「高校生にもなってピルも使ってないなんて」ですよ。

まあ、その前に産婦人科での定期的な検診を大前提としていただきたいものですが。

 

(続く)

出羽守がモノ申す(4)主治医、弁護士、税理士 その1

私が、最初にドイツに住民登録したのは、80年代なのですが、最初は大学生の学部生のときに1年休学して8ヶ月の滞在。ドイツ家庭にホームステイしていました。その後、一旦日本に戻り、大学卒業したり、就職したり、修士課程にいったりとごちゃごちゃあって、ちょっと仕事を休んで(1、2年のつもり)ドイツの大学にも在籍あるいは、聴講生として授業(ゼミナール)に参加したいな、と渡航したのが80年代の後半。一番最初は語学学校の手続きを3ヶ月分、日本で通っていたドイツ語学院がビザをとってくれて、ドイツに入国。最初の住所登録は「ローテンブルク o.d. タウバー」でした。語学学校の手配してくれた家庭にホームステイ(といっても家族となにかコンタクトがあるわけじゃなくて、単に部屋を一つ間借りしているだけ)。そのあと、日本ですでに契約していたミュンヘンのアパートに移りました。

 

語学コースが最初が1ヶ月、次が2ヶ月で、8月末に試験があり、それで大学に入学できるかどうかと。それでミュンヘン以外に3つの大学に応募していたのだけど、2つは問題なくOK、2つは語学試験あるいは、大学の開講する留学生のためのドイツ語講座に参加とか、いろいろあって、まあめでたくミュンヘンの大学に通えることがきまり、11月からいよいよ新学期というあたりで、もうだんだん具合が悪くなってきたんです。それまでのストレスなのか、季節が夏から突然、冬に突入してということもあってか。たとえば体のあちこちにジンマシンがでたり、視力が急激に落ちたり。で、まあ、そのころお世話になっていた大学教授(日本から1年の研究休暇でドイツにいらしていた日本人の方)に相談したところすぐに医者に行ったほうがいいいよ、という。

 

日本でもあまり医者に行ったことがなかったし、言葉も全然まだまだで、医者なんてどうしたらいいのか、と不安。当時はお金もないし、発想として「通訳を雇う」なんていうのは駐在の方など(上のクラスの人たちの話)とか思っていたので、とりあえず、その大学教授に良さげなお医者さんを紹介してもらって診てもらうことにしました。その医者は、教授が教授の家の大家さん(とても親切でやさしいおばあちゃま)に紹介してもらったという。で、わたしはそのおばあちゃまを直接知っているわけではないので、とりあえず教授の名前を出して、紹介された言いました。

 

実際にドイツ出羽、医者などに行くときに回りの信頼おける方の紹介というのが、多いのではないでしょうか?多くのドイツ人家庭の場合は、すでにその一家には代々とはいわないまでも、子供のときからのかかりつけの家庭医がいて、その医者はその家族のことなどよく把握している。病気の中には遺伝的な要素もあるのだろうから、家族を知っていることは医者にとっても判断の幅を広げるだろうし、処方したり、治療にしても、遺伝だけじゃなくて、その一人一人のライフスタイル、どういう職業か(立ち仕事が多い、座りっぱなし、時間の拘束が長い、不規則、夜勤があるなど)また、どういう考えなのか(なるべく楽してさくっと月給だけもらえばいいや、なのか。ライフワークとして仕事に取り組んでいるとか、わたしのように授業は絶対に休みたくないと思っているとか)家庭医は把握していてくれるので、毎回の診察で、症状や状態は違うにしても、治療にあたっては、わりと患者側の気持ちにそったアドバイスをしてくれる。

 

留学生1年目の家庭医は教授の紹介で住んでいる地域からはちょっと離れていてそのあとはあまり利用しなかったと思いますが。それでもジンマシンに関しては、皮膚科を紹介してくれたし、眼科では、視力検査をしてメガネを作ったりとか、その11月から12月ごろいろいろな医者に通ったと記憶しています。最初の家庭医が、それぞれのお医者さんを紹介してくれて「Überweisung」してくれる。(この言葉は銀行で自分の口座から他人の口座にお金を振替という意味にも使われる)

 

最初に医者に診てもらうときから、この紹介状を受け取り、次の医者に行くときも、医者の受付では、保険証を提出するだけ。いまはカードにチップが入っていたりするけど、当時は番号かなにかを手書きで記入していたように思う。薬の処方なども、受付で処方箋をもらったり、正社員の場合は、「仕事ができない」という証明書を発行してくれたり、すべて医者や病院の受付(事務)の方がやってくださり、その場で現金を支払うことはまずない。もし、保険でカバーできない治療とかある治療器具を購入するなどの場合は、金額をだいたい知らせてもらい、こちらがOKしたら、処置をしたり、器具を申し込んでくれて、その代金はあとから「請求書」が送られてくる。

ごく一時期(80年代後半から2010年代の今日までのわたしの滞在期間で)初診料というのを四半期ごとに徴収したことがあったけど、それもいまはないようだ。この前久しぶりに家庭医に行ったが、とくに現金は払わなかった。

 

そのあたりが日本では、財布をもたずに病院や町医者に行くなんてありえない。今回、年末年始でほんの2、3週間東京にいた間に一度だけ病院に行った。日本の健康保険は持っていないので、旅行者保険で補填ということもあり、受付でとりあえず現金で2万円を支払いあとで、請算することに。結局は心配ないといわれ、薬を出してもらって帰ったが、休日診療だったこともあり、ほぼ2万円かかった。これが多いのか、少ないのかわたしには判断できない。というのが、ドイツでは、病院や個人医の受付で現金を払った記憶がないから。 

(つづく)

出羽守がモノ申す(3)主治医、弁護士、税理士 はじめに。

長くなりそうなので、ここからは、「はじめに」としておきます。

出羽守シリーズの第二弾は、もっと普通のことにしたいと思いましたが、ここ数週間にわたって、会合とかいろいろでかなりたくさんの日本人と話す機会がありました。

それで、実は自分が思っていた「ドイツ出羽」というスタンダードは、ローカルスタンダードで、「南ドイツ限定」「バイエルン州限定」「もっと南、ドナウ以南のオーバーバイエルン限定」とか、いわゆる、心理的に「白ソーセージ同盟」的な文化圏。あるいは、もっと、自分の親しい友達や同居人の価値観とか、その人個人の考え、その方の家族のスタンダードだったりする。

 

日本に住んでいたころ、幸か不幸か、生まれが東京都23区内(旧東京市)だったこともあり、言葉や暮らしは<都会的>かつ<日本の首都>であり、とりあえず、日本スタンダートな言葉を使う地域であった。高校三年生までその文化圏で、旧友や知り合い、隣人もまあそういうスタンダード。ときどき転校生や遠縁の親戚が、方言をつかったりすると「おもしろい言葉だ」と感じたりする自分でした。

 

大学生になると、比較的小規模とはいえ、いちおう全国的に名前が知れている(ある有名なプロスポーツのスターのおかげで)大学であったから、いちおう北海道から沖縄まで、さまさまな出身者は来ていた。首都圏や東京以北が多いのは否めないが。それでも100人程度のクラブでは、北海道2、3人。九州2、3人、5年に一回ぐらいは沖縄出身者もいた。

 

で、思い出すのが、ローカル(家族限定)ルールのこと。子どもの頃の家族での会話やゲームのルールなどは、自分にとっては、当然の無批判に受け入れられる、<誰でも>知っていることだと信じている。中高の友達と話したり遊んだりするとときどき「あれ?」となったりする。大学の合宿で、トランプしていると、やっぱり「え!」となったりする。みんな自分が今までやってきたルールややり方が正しと思って疑いもしないが、ゲームが進むに当たってその辺の差異が大問題になる。

 

「7並べ」で、ジョーカーを混ぜた時。そもそも混ぜていいという人と、いや、7なれべはジョーカーなしっしょぅ、て人もいて。しかも持ち札にジョーカーがあったとき、どうやって出せるかとか、いつ出せるかとか。ルールによっては最後までもっていると大惨敗になるとか。。。。

 

日本で、日本語で、身近な友人たちと遊んでいてもそうなんだから。

まして、ドイツに来てからは、ドイツ人といってもさまざまな文化、歴史、風習を背負った人たちが大学とか職場で集まったりするとき。そもそもドイツ人/ 外国人といっても、親は本人がもともと外国出身 で、家族や本人がドイツに帰化していた場合、ドイツ人と外国人の線引きもむずかしいし。ま、それはとりあえずいま考えからはずして。。。ずっとドイツの家庭で代々受け継がれたものとか、そういうのもは他でもない「ドイツな」、というドイツ人の中でもローカルルールとか、ドイツスタンダードとか、あるいは、グローバルスタンダードとかの差異がある。

 

ここ数年仕事の関係で、バイエルン州とティーリンゲン州を毎週往復している。そして、それぞれの地域で、7.8のクラスと接している。当然バイエルン、テューリンゲン出身者や大学生などは全国から人が集まってきていたりする。いままで「ドイツでは」と思っていたものが、実は、バイエルン限定だったり、テューリンゲンだけの気質があったり。ステレオタイプとしてのドイツって、たとえば漫画の「ヘタリア」が描く世界のように楽しくわかりやすくはあるのだけど、本当にそんな典型的な類型とかあるのだろうか。

 

などなど思いつつ、「ドイツ出羽」はやっぱりハードル高すぎて、自分の場合は、せいぜい「バイエルン(州)では」とか私の住んでいる地域では、とかもっと範囲が限定されておしゃべりしている仲間内、職場や学校の生徒、ママ友とかそういういろいろな小さな集まり(Gemeinde, 共同体)とか限定で、話を進めないとダメだな、こりゃって感じです。

 

で、いろいろ調べることも多いのえすが、とりあえず、今回は「医療」「財務、経済」「法律」関係の所感を述べてみたいと思います。

 

 

出羽守がモノ申す(2)市議会場で挙式

私も今朝タイトルだけいいね!して、今、読んだばかりなのですが。。。

まずこちらの記事を御覧ください。

 

無料で結婚式のような体験!お得すぎる「届け出挙式」について苫小牧市に話を聞いてみた

Text by 長澤まき

http://irorio.jp/nagasawamaki/20170215/386596/

 

 

これって、ドイツではわりと普通のこと。もともとドイツはキリスト教の国だけど、もう80年代にドイツに来たときから、結婚式とか子供の洗礼式とか儀式にキリスト教式を持ち込む家庭はだんだん少なくなってきていて。カトリックの場合は、洗礼式(わりと生まれたばかりぐらい)初聖体(小学校低学年)があるが、このあたりは、日本の七五三のように親戚一同で集まってお祝いしたりする行事で、とりあえず親か祖父母の誰かが教会につながっていると教会での式典(だいたいがミサの中)に参加して、親戚や家族でお祝いとなる。

 

が、反面、「信仰心はある、でもいまの教会のあり方には賛成できない」とか、もっとわりきって「教会税払うの勿体無い」という理由で、教会をを離れてしまう人も多い。私の親の世代(戦前、戦中派)はそれでも、近所の手前とかで形だけ信者であったりして、脱退まではしないけど、戦後世代あたりはもう結婚をきっかけにとかで離脱。

 

となると、結婚式でも、新郎新婦ともに<元キリスト教信者>であっても、「教会での結婚式はしない」人が案外多い。(実は、ミュンヘンの某カトリック教会の場合ですが、ミサの間に大掛かりに結婚式=結婚の秘蹟というような儀式をしてもらったのに、料金は一切かからなかった例があります。あとで献金します、といったまま忘れていたというカップルを知っていますから)。

 

そもそも、教会で式を挙げようとなにしようと、法的には、住民票のある役所に届出を出さなければならない。ドイツでは、契約書にサインをするというのはいたって大事なことであり、いつ、誰が、どこで、が法的な証拠となる。そして、結婚ともなると二人の第三者の証人(目撃者)が、その場に居合わせている必要がある。そうなると、日本のように、書類だけ用意して、ハンコついて終わりというわけにはいかない。ちゃんと役人の前で2人以上の証人をたてて4人がサインをして、役人が認め印を押すなりサインするなりする、という手続きで完了。みなさんも、映画なんかでは、突然できあがったカップルが船上で船長さんの前で誓って婚姻を成立させるなんて場面を見たことがあるのでは。

 

誓いのキスとか指輪の交換もオプションでやってもいいし、私が知っているペアの場合は、コーラスに歌を歌ってもらう(有料)という人たちもいた。役所にはそれなりに綺麗な部屋とその後小さなバンケット(軽い飲食と歓談)ができるような場所が用意されていて、まあ、週末などとなると、警笛をならした車が到着したり、ミュンヘンの英国公園前の役所だと馬車が到着したり、賑やかなものです。

 

結婚にかかる費用ということですが、そもそも「結婚」は式とかパーティではなくて、Eheschließung 婚姻を届けて役所的に書類を作ってもらうという手続きなので、その部分に25ユーロから100ユーロ(時間外だとか、外国国籍の場合に特別な書類を必要とする等の場合)かかるようです。

ビュルツブルク市のホームページ参照

http://www.wuerzburg.de/de/buerger/standesamt/gebuehren/28294.Standesamt-und-Gebuehren---Die-wichtigsten-Gebuehren-nach-dem-Bayerischen-Kostengesetz.html

 

それから、婚姻届けをだすとFamilienbuch  のようなバインダー式のファイルをもらい、そこに婚姻証明書、のちに子供が生まれたりすると出生証明書などを挟んでいけるようになっています。このファイルも高いのから安いのまで(最低で10ユーロ)。

 

ただ、これは結構大事で、そもそも「戸籍」という概念がないので、出生から婚姻、離婚、死別などすべて、そのときどきの書類を自分で管理保管しておかなければなりません。もちろん、なくしてしまったり、2通必要な場合は元の発行してもらった役所に問い合わせて再発行してもらうことはできます。ただ、元のものが無くなっちゃうと問い合わせるのも大変なので、オリジナル以外にも大抵の家庭ではコピーをたくさんとって保管しています。

 

このバインダーに挟む最初の書類が「婚姻証明書」になるわけで、その書類をもらうのに、お役所的な料金が派生するってことですね。

 

私も、最近のことなどはあまり自信がない(自分の歳があがって、最近はあまり結婚式にも呼ばれていないので) 

 

こんなサイトもありましたので、参考に

Hochzeitplatz  (結婚プラザ)

www.hochzeitsplaza.de

こちらによりますとやはり、オプションをつけてシャンペンを出したりとかすると50−100ユーロ考えておいたほうがいいよ、ということ。

 

まあ、ただというわけにはいかないようです。

日本の結婚式(両方の家族の儀式)というよりは、本人同士の愛のセレモニーという趣が大きいドイツではありますが、それでも、ご両親の期待とか、中には貴族のような社交界のような方達もいらっしゃるので、「結婚式は質素」などとは一概にいえません。

 

ただ、一言最後にいえば

 

ドイツでは

役所での結婚式はわりと普通。

出羽守がモノ申す(1)=はじめに

ってことで、自分も相当に出羽守なので、開き直って言いたいことをいうブログにしようと思う。まあ、「守」まで上級じゃなくて、出羽藩の足軽程度なのだとは思っていますが、そのあたりは読者様の御判定を。

 

ねたはもうあちこちなのですが、硬いところで「教育問題」とか(学費がただとか、充実してるとか、受験がどうのとか)「外国人労働者」これはもう80年代からドイツ語のテキストには満載。「環境」「東西の壁」なんて昭和な話題もちょっとリメークできそうだし、最近では「原発」「移民・難民」「国際テロ」と本当にちょっと思いつくだけでも「ドイツでは!」と言いたいことはたくさん。

 

反面、自分の場合は、87年からバイエルン州に住んでいて、首都ミュンヘンは<私には>心地いという意味で「いいね!ミュンヘン」を書いたけど、日本のみなさんにはあまりお勧めではない。しかも、「ミュンヘン」は「ドイツ」じゃないし(地方分権の上、バイエルン王国のなごりから、いわゆるプロイセン=今のドイツは自分の国とは受け入れがたい)。

 

てなことあって。

まあ、ミュンヘンでは!を平気で連発する連載を始めます。

 

出羽守

今日の単語

「出羽守」

d.hatena.ne.jp

 

出羽の守(歴史的な役職)じゃなくて、出羽守の方ね。

とても欲しいと思っていた表現にであったので、満足です。自分も知らないうちにそのような物言いをしているかもしれません。

 

前に、アメリカからきた先生が、職員会でなにかというと「シアトルでは」といって鼻についたし(私はアメリカがあまり好きではなかったので)、前の職場や日本との比較ってついつい悪気がなくても言葉にでてしまうものだと思うのですよ。たとえば学校行事のやり方とか、そういう点で、内容や参加者や状況がよく似ている場合は、とくに、前はこうじゃなかった、ここでもこうした方がいいのじゃないかっていう意図で。

 

でも、それが聞き手から見るとなんか嫌味だったり、比較されて自分のほうを下げられているように感じたりするってことも多くて。それはやっぱり感じ悪いわな。